2億か8億

めしの話をしたり生活の話をしたりする

そんなにみなさん騒ぎたいんですか

どうもうえしたーです。

応援上映にいきたくない

最近はやりの応援上映、体験したことがありますか?
わたしはないんですけど、今の時点ではどうも行きたくないなという話をします。

インタラクティブなコンテンツ鑑賞

声を出したり、ケミカルライトを振ったり、一緒に踊ったりするというのは音楽イベントやライブなどでメジャーになってきています。そういうコールアンドレスポンスというのがなんで楽しいのかという部分はみなさんも体感しているんじゃないかナー。
雑な言葉でいうなら「一体感」とか「インタラクティブ」とかそういうことなんですか?そうじゃないならいいです。
実際、通勤で聴く音楽をライブ会場やクラブハウスで身体を揺らしながら聴くというのでは全然違う体験ですね。そこで「騒げー!!!!(CV: 沼倉愛美)」ってなったら相乗効果もあってだいぶたのしい。その場でしか味わえない。

で、映画やコンサートがそういう流れに乗ってきたというのは新しいエンタメ体験だなーとおもいます。咳払いや咀嚼音すらウワッ何こいつやかましいんじゃとなる場合もあったわけですが。
テレビ放送なんかでもNHK紅白歌合戦でも副音声で実況をしたり、torneの実況などなど……従来とは違う楽しみ方ができるものが増えてきました。ただ観るだけ・聴くだけ、という従来のコンテンツの消費方法からソーシャルやリアルタイム性を使ったものが登場しています。
セカンドディスプレイとしてTV・スマートフォンタブレット・PCが補完しあって新しいユーザ体験を生み出しているというのは最近読んだ本に書いてあったことなんですが、これも「ただ観るだけ」から変化した話ですよね。

応援上映って

応援上映は
・声を出していい
・ケミカルライトなどのグッズをつかっていい
・コスプレしていい
というものらしいです。

好きなキャラクターを応援したり、悲しいシーンで叫んだりできますということですかね。ライブや、自宅で好きに上映するような楽しみ方がスクリーンで楽しめるといった感じでしょうか。
面白いと思うし、楽しんでる人がたくさんいてやり方がプロバイダ側からもokであれば商業的には大成功ですよね。

でも、わたしはどうも、行きたくないのです。

いきたくない理由、素人の寸劇をみたくない

お約束みたいなかんじでファンどうしが決めたコールをするというのはライブにもあります。もしそれが「ウリャオイ!ウリャオイ!」と叫ぶくらいで、それやりたくないなら声出さないってだけでいいかなーとなるんですが(それでアーティストの声が聴こえないとか言う文句はまぁアリな気がする)、それが変な寸劇になるといやお前はストーリーに加わったつもりかなんかなのとなる。
没入感があるというのと参加型というのは違うでしょ……と思うのですよ。応援っていうのは登場人物のひとりになるとかじゃないでしょう。
あなたのかんがえたさいきょうのおもしろい寸劇とか本当に興味がなくて、それが刹那的な芸術だとでもいうのか?どうせ毎回やってんだろ?芸人のつもりなんか????あ?????と憤ってしまいます。
声だしてライブシーンとかバトルシーンに臨場感が出るような気がする!!!!!程度なら良いんですけどなんでお前が寸劇するの?あなたはキャストかなにかなの?夢の国に行って参加型アトラクション行く?運動にもなるし??????なんで大声でわけわからんこと言うの??????

面白いことをしているひとたちが出てくると、それ真似して面白くないひとたちが流れ込んできて面白くなくなるというのはよくtwitterでみますけど、そういうのもあって辛くなってきそうだなともおもいます。

騒げる場所だとおもってない?

アイドルアニメのライブイベントで、終幕後に観客同士で「お前らと出会えてよかったよー!」「オレもー!」「私もー!」みたいなのがあるらしいと聞きました。地獄ですね。
寸劇っぽいから無理というのもあるんですけど、そういう薄ら寒いのって中学生が体育祭でやっておくノリじゃないんですかね?
応援上映もなんかそういう気配があり、中学生の頃にそういう輪に混ざれなくて、ハレの日とケの日がうまく乗り越えられなかったからこういう合法的に騒げそうな場所で発露してない?と感じるのですよ……。
自分もそういうお祭りというのが苦手な人間なのでそう思うんですが、外の祭りでそういうことができなかったからそういうオタクコンテンツ消費場に流れ込んでるんじゃないんでしょうか。これは偏見に満ち溢れた発言です。

映画というのはスクリーンの向こうには人がいなくて、製作者とか役者とか声優がいます(雑なたとえだと自分でも思う)。スポーツ観戦やライブ鑑賞では向こうにひとがいるので、ヤジを飛ばしたり寸劇をしたらそのひとたちが嫌がる可能性もあるわけですね。
対象者が生身でないとエスカレートしやすい。対象者の気持ちを考えずに自分の思いついたことをしはじめたり、他にいる人、つまり別の鑑賞者を対象にして喋り出す。まるでtwitterで炎上するひとと叩くひとのようで、向こうが生身の人間だと思えないというのは、やりすぎてもいいやと思えてしまう。

あなたは主役でも登場人物でもないんだよとお伝えしたくなるのです。
本当に主役になりたかったら自分でステージやれよ。

じゃあどうしろとという目線

もし自分がこういうのを楽しんでいるひとだとして、これ読んで、腹立つかな?と考えます。
ウーン、熱中しているものに対してこういう言い方されたらカチンと来るだろうナー。お前が来たくないなら来るなよと思う。たぶん。

結局寸劇やっちゃうタイプの人もコンテンツのプロバイダに怒られなきゃいいわけで。
お前が来たくないなら応援上映じゃない方いけよというわけで。

楽しみ方はいっぱいあって、同じ作品が好きでも楽しみ方はそれぞれ。
ただ、楽しみ方がいっぱいあるっつっても、じゃあ応援上映だけあればいいわけじゃないでしょう。ライブも、アーティストがいないなかで大音量でウリャオイしてて楽しいか?作った人への敬意ってそこに本当にある?
そのコンテンツへの到達が複数あるとしても、騒げればいいというのが楽しみ方なの?という疑問があるんです。

体験してもいないものを批判するのがナンセンスだと言われたらまぁそこまでなんですけど、でもやっぱコンテンツへの参加者が勘違いすんなよっていうのと、消費行為を履き違えるなよというのは書きたかった。それが嫌だから行きたくないし、そういう定着の仕方は嫌だなーとおもっています。
応援上映だけがキンプリじゃねーーーーーーーだろと書きたかったのが長くなっちゃいました。

こういうブログです

こう、やっていくという気持ち、気持ちが……